おはようございます、DCです。
相互リンクを結んでくださり、度々気にかけて下さっている、
アニスロ ドットコム様の伏兵さん。
スロットブログでは有名なブログなので、フルスロットる!をご覧になっている方であれば読んでいる方は多いでしょう。
先日、ツイッター・記事内にて本人のご両親に関して説明されています。
(ツイートは画像も貼られていますが、諸々の配慮のため記事内の文面を引用させて頂きます)
最初はリハビリしながら入院してればすぐ戻ってこれるものだと思っていましたが、状態は悪化する一方で先生の薦めもあり、県の一番有名な病院へ転院することになりました。
実は昨日病院の方から呼び出され病状の説明も受けたのですが「ALS」という難病との事です。
具体的な事はまた別記事にて時間取れたら書く予定ですが、母も今だ入院生活中の為、今まで父がやってくれてた事を兄弟で分けて担当することになり慣れるまで結構大変なんですよね…
母⇒【雑記】 会話ができない辛さ・・・
父⇒作成予定
ブログの方も頑張って更新するつもりですが、こんな状況なんで毎日更新はちっと難しくなるかもです。
ご理解の程をよろしくお願いします(´・ω・`)
伏兵さんはご兄弟も2人いらっしゃるようですので、家族皆で支えていく事となると思います。
普段からアニスロドットコムを読まれている方はぜひ一言でも応援して欲しいなと思います。
家族との関係・時間・接し方など、私もたくさん考えた経験があります。
私はすでに母を亡くしています。5年ほど前の事です。
せっかくこのような場所を持っているので、伝えたい事がありこうして記事を書こうと考えた次第です。
アルツハイマー型認知症になってしまった母
私は上に兄が居ますが7つ歳が離れている。多分、両親の年齢は私の年齢から相対的に見れば1世代~2世代上の年齢です。
本来真ん中にもう一人兄がいたそうですが生後未熟児であったため亡くなってしまった。
逆に言えば、その兄が生後順調に成長していたら私が生まれる事もなかったかもしれないと言える。
はっきり言って、家族仲で言ったら悪い方なのではないかと思う。
兄とは歳が離れているが故にいつもいじめられていた記憶しかなく、何より考え方や行動が自己中心的だったので大人になってからは必要でない限りは連絡さえとりません。
はっきり言って兄が嫌いなのですw
私は高校生くらいから早く家を出たいと考えていたし、父親の頑固な性格がとにかく嫌いで父と言葉を交わす事が本当に珍しいレベルに口をききませんでした。
今思えば母は母で子供の成長に生きがいの全てを感じるような人だったのだと思います。
私が実家を出たのは22歳の頃。
その3年後くらいに母は認知症になってしまった。
同窓会で再開し仲良くなった同級生に騙され借金を負うことになってしまった。
30年以上勤めた医療事務の個人開業医の先生が他界。
こんな事が続き、アルツハイマー型の認知症となってしまったのです。
アルツハイマー型の認知症とは
まあ平たく言えば「ボケ」ですね。
一説によれば「ボケる」というのは脳の防衛本能だと言われるとも聞きます。
現実というのは時に非情であるが故に精神に過度なストレスをもたらしてしまう事もあるかもしれません。
私の母のケースもタイミング的に納得出来る部分はあります。
家族とその後
まあどこにでもあるような苦労話です。
それはそれは父は苦労しました。
忘れてしまう事を自覚できず、自分の家族構成さえ忘れてしまう。
常に情緒不安定な状態で子供のようにわがままを言い続ける。
これが日常的に続くのです。
私は20代は自分のやりたい事に向かい頑張っていたので電話で話す事は度々しましたが、あまり実家に行くというのはしませんでした。
何より、ずっとサービス業に従事していたのでそんなまとまった時間が取れなかったのが現実でしたが。
そんな中、母が心臓発作で倒れた。
命は取り留めたものの母は病院で寝たきりの生活を余儀なくされてしまった。
それ以降は7年程の寝たきりの入院生活の後、母はこの世を去ります。
家族仲が良くなかったとはいえ、大人になり年老いていく親を見れば黙ってはいられないもので不思議なものです。
兄は行動として義理は果たす人間でしたが、金銭面では一切の援助はしない人間です。
故に入院費や借金の問題で私は父と共に苦労しました。
入院してからというもの、母は口がきけなくなってしまった。
しかし話しかければ目で訴えてくるなどで、認識しているというのはわかりました。
しかしやはり認知症で寝たきりとなってしまうとどんどん体のそこかしこがおかしくなっていってしまう。
誰なのかわからない。そんなリアクションを取るようになってしまった。
最終的にはリアクションさえも取れなくなりました。
これは何よりもショックな出来事でした。
何もわからない赤ん坊の頃から自分を育ててくれた人が。そんな人が自分の子供を認識出来なくなってしまった。
この時は亡くなった時よりもショックでした。
正直、経済的な負担・家族の心労・肉体的な疲労、特に父の負担は大きかったと言える。
そういった意味では亡くなった時は少し安心した部分が少なからずあった。
毎日のように病院に通い、母に話しかける父を見ているのは痛ましいものでもありました。
覚悟だけは決めていたのでそれが大きかったというのは言えますが・・・・・。
健康であればこそ
ここまで来てようやく本題になりますw
後悔は必ずする
この経験を通して、月並みですがたくさん後悔しました。
元気なうちに母に孝行らしい孝行をしてやりたかった。
そんな当たり前の後悔。
孝行というのは自身がしっかり身を立てられていればこそではありますが、どんなに孝行していたとしても必ず後悔すると思う。
私の場合はちょっと親の年齢が高いですが、30半ばを過ぎれば自然と親が高齢に差し掛かってくる年齢になってくるはずです。
いつまで元気に外を出歩けるかなんてわかりません。
いつまで口をきけるかなんてわかりません。
こう考えている人は多いだろうと思います。
気持ちは出来るだけ早く、出来るならすぐにでも行動に移してあげて欲しい。
私は今でこそそう思います。
それ以来、もっと行動に移そうと残された父には出来る限り顔を見に行ったり、こまめに電話するようにしています。
苦労したので残りの老後を労ってやりたいと考えている。
それでも多分、後悔はするのかもしれないと思います。
きっとそういうものなのでしょうね・・・・・。
仲が良くなくとも
人にはそれぞれ事情というものがあるので、家族仲が良くない人も多いことでしょう。
私はたまに親と連絡を取り合っていたというだけであり、仲が良いわけではありません。
一日でも一緒に過ごせばイライラすることは多いですw
しかし、逆に考えてください。
いがみ合う事が出来るのも、口喧嘩出来るのもすべて生きていてこそ出来る事。
中には大きな確執や溝があって言葉を交わしていない・会っていないという人もいるかもしれない。
それもこれもこの世を去ってしまったら文句の1つも言えなくなってしまう。
仲が悪ければこそむしろ言葉を交わすことが無いだけに後悔する部分も多いかもしれませんね。
私の経験上だけではありますが、パチンコやスロットに没頭する人はこういった家族に向き合うことに鈍感な人間が多い傾向にあります。
もちろん傾向であり、そうでない人もたくさん居るとは思いますが・・・。
私と同じような後悔をして欲しくない。
それが伝えたい事であり、今記事を書こうと思った動機です。
今、両親に何かあったらどれくらい後悔するでしょうか?ネガティヴなものであってもそれは意味のあるものだと思います。
生きているうちにその感謝や気持ちを行動にして伝えてみませんか?
一人でも多く同じような後悔をする人が少なくなって欲しい。
そんな想いをまとまりが無いな・・・と自分でも思いますが、お伝えしました。
以上です。お付き合いありがとうございました。
親のありがたみや生きているだけでいいとか心優しすぎます。
自分は家族で仲が悪いとかもなく姉とも大人になって一緒に出かけたりプレゼントしあったり
親のありがたみも凄く分かるし幸せなんだなと思います。
になさん、コメントありがとうございます( ^ω^ )
なんと言うんでしょうか・・・月並みですが、嫌いだと思っていても感謝はしているんです。
高校から行きたい私立行かせてもらいましたし、それが無ければ経験出来なかった事もたくさんあります。
大人になり、より思うようになりました!
私の場合、残念ながら兄とは絶望的なまでに色々と趣味趣向が合わないので、無理に仲良くする事もないよねwと考えています。
になさんのように仲の良い姉妹はとても良いと思います( ^ω^ )
お疲れ様です。
非常に気になる記事で色々と考えさせられました。私の父は既に他界、母は何の因果か稀な多系統萎縮症という助からない病に侵されて現在は食事すら話すらできずに入院して後は死を待つだけという状態です。
週一でお見舞いに行きますが、正直苦しそうな母を見るのが毎回辛いです。そして、思うことは「なんでもっと親孝行できなかったのか! なんでもっと優しく接することが出来なかったのか?」と後悔の日々です。
初めてまともな親孝行すると旅行の計画を決めた月に父は死んだりと、人生上手くいきませんが、DCさんや伏兵さんの状況等、他の方達のことを知る事で人勢難しいと思いました。
DCさんの仰る通り、スロパチしている方は親孝行からより無縁になりがちな傾向が勝手ながら思っているので、スロパチより遥かに大事なことがある事を知って欲しいです。
そして、この場で言うことじゃありませんので、DCさん並びに記事を読まれいる方達には申し訳ないですが、1つだけ言わせて下さい。
最終的に人は死にます。だから、私は最後に人の為に死にたいと思ってます。その為に、自分が最低限できるドナー登録を全て行っていますが、これで誰かが助かるならば、こんな男でも生きた証になるという自己満足。
国保の裏側に記載されているので知って下さい、そしてご協力お願い致します。
DCさん、失礼しました。
ユウさん、お疲れ様です!
コメントありがとうございます( ^ω^ )
ユウさんもそういった状況でしたか・・・。
当然と言えばそうなんですが、誰しもが向かい合う現実なのだろうな・・・
というのは思います。。
個人的には実際、稼働よりこういった考えや意見記事の方が興味があったりするんです。
なので、他の方の記事もこういったものを読みたいなと思っていたりします。
この方が人間として大切な考え方を顧みる機会になるので為になる気がするんですが・・・
一般的な需要はそうではないんですよねw
若干、状況は違いますが母の寝たきりの姿・弱っていく姿を見るのは正直本当に辛かったので、僭越ながら多少なりともお気持ちはわかります
それでもユウさんもしっかり足を運ばれているので、そのつもりかもしれませんが、その日までお母様を見送ってあげて下さい。
まさに仰る通りで、需要なんかあるはずもないこんな事を書こうと思った動機はそれです。
読者層は同年代くらいの方が多いっぽいですが、若い方が見ていた場合でも大切に考えて欲しいという想いを込めたつもりです。
それがネガティヴな感情であれ、きっと意味はあると・・・。
ドナー登録に関しては、20歳くらいの頃は財布に臓器提供意思表示カードを入れていましたが、いつの間にやらなくなってしまっていたので、私もその意思表示はしておこうと思います!
良い機会ありがとうございます!
[…] ⇒後悔先に立たず 母を亡くした経験から言える大切な事 家族との向き合い方見直してみませんか? […]
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はじめまして
ボケた母が
自分の子を認識できなくなって安心した。
私の母も同じことを言ってました。
おばあちゃんがアルツハイマーで、自分の家を認識できなくなったぐらいにボケた時、母は安心したと言ってました。
それまでの軽いボケの状態の方が、母にとってつらかったのでしょう。
これからは私達がその体験をするのですね
初めまして、まっそーさんコメントありがとうございます( ^ω^ )
そこの考え方はきっと人それぞれなのでしょう。
私の場合は、認識してもらえなくなった時・リアクションが無くなった時が一番辛かったです。
それこそここは実際に亡くなった時よりもでした。(記事内にもある通り、経済的・肉体的・心労的な部分が大きかったと今では思います)
遅かれ早かれ直面する現実だと思うので、出来る事なら孝行の意思があるのならば行動して欲しいと思った次第です。
DC様
はじめまして。
スロ好きな初老のおじさんです。
スロ関連記事の中で、このHPを見つけ、記事を読まさせていただきました。
自分も父親の介護で悩んだ事があり、最終的に仕事も生活(関東圏から故郷に)もすっぱり変えて、介護を行ってました。
DC様の記事の「後悔しない」という考えと同じですが、半ば勢いだったと思います笑
それなりの苦労もありましたが、余命1年を宣告されてた父も3年程延命、最後も見とれました。
皆さんのご家族それぞれ環境異りますので一概に言えませんが「後悔しない」ように関わっていければ良いかな?と思います。
脈絡のない、稚拙な文で申し訳ありません。
初めまして!ron2さんコメントありがとうございます( ^ω^ )
当ブログへお越しくださいましてありがとうございます。
おそらく私よりも1~2世代上の方とお見受けします。元気で居るのが一番なのですが、必ずしもそうはいかないのが現実であったりします。
半ば勢いだったとしてもしっかり最後まで看取られたという事ですので良かったのではないでしょうか?
仰るとおり、人それぞれ向き合い方も事情も違うと思いますが、その「後悔しない」に尽きると思います。
とんでもございません。わざわざコメントくださりありがとうございます!