おはようございます、DCです。
どのようなライフスタイルであれ、少なからず人は人と接するものです。
今の時代、自宅で仕事をしていればその限りでないかもしれませんが、逆に人と接さないように努めなければ嫌でも接さなければなりません。
その中でも話が噛み合わない、考え方が合わないなど、どうしても合わない人間などは出てきますよね。
特に職場で合わない人間が居て、業務上接さざるを得ないというのもあることでしょう。
私も現在そういった人は居ます。
悩みの種ではありますが、私自身は特に気にしないことにしています。
言ってしまったらこの一言なんですが、もちろんそこに至るまでの思考を経た上での話。
そんなわけで今回は合わない人間との人間関係の話です。
職場で合わない人間
どうしても合わない同僚
沢山の人間が集まる場所であればあるほどに、合わない人間と言うのは増えてくるものでしょう。
人間誰しも基本的に価値観も考え方も違うのだから、合わない人間がでてくるのも当然。
そんな中でも付き合う距離感や性格や考え方を考慮して折り合いをつけてやっていくのが大人。
しかし、絶望的なまでに合わない人間も存在します。
先程も言ったとおり、現在進行形で私もそういった人と一緒に仕事をしています。
まあ名前が無いと不便なので、仮にウザ井としましょうw
私は基本的に人と接する時はフラットに接し、偏見を持たないようにしている。
何故ならパチ屋という職場環境に身を置いていると、本人の意思に関わらず、学歴が無いスタッフも存在します。
そういった人の指導に当たるとなると学歴に対する偏見を持っていたり、
わからないことや知らない事に対し上から接してしまったり、
目線を合わせないような事をしてしまうと間違いなく上手くいかないのです。
その甲斐もあり、良い距離感を築き大きな仲違いを起こさずにやってきました。
まあ一概に私がそう努めたからではなく、相手方にもその努力あってこそだと思っています。
しかしこのウザ井、こんなにもいちいち腹立たしい思いをする人間などかつて居なかったというくらいに私は合わない。
まさに水と油、ウナギと梅干、天ぷらとスイカ。

何がどう合わないのか?
もう言ってしまえば生理的に無理なレベル。
このウザ井はとにかく行動そのものが子供なのである。
ホールで仕事をしていれば悲しいかな横柄なお客様というのは存在するもので、いかにそれを上手く流すか・スルーするか?
これは欠かせません。
というか、別にホールでなくてもいくらでも存在するので気にしないように流すのが懸命です。
しかしいちいち腹を立てたのを顔に出し、あろう事か物の扱いまでガンガン音を立てる始末。 そういった態度をとられる事は日常的に考えられる仕事であり、いわばそれも仕事の一環。
それを我慢しようともしないのである。インカムの声1つ聞けば機嫌がハッキリわかる程。
接客の最低限の心持ちというのはお客様に尽くす気持ちであり、それを持たない人間はそもそも向いていない。
しかし、あくまで自身の意思でその場に居るのだからその役割は果たさねばなりません。
極論、それをやる気がないのなら邪魔でしかない。
たった一人のその態度によって他の人間の努力は台無しになります。
さらに質の悪い事に上司が居るときは上機嫌に振る舞い饒舌であり、上司の前ではそんな態度は取らない。
(ゴマをすっているw)
昔からこの性格が原因で会社からは問題視されてきているが、いくら話をしようと改善を試みようと一切直らない。
もう無駄だと判断されている。
私としてはこの態度を見る度に腸がグラグラと来てしまう。それは今でも毎日ですw
ホールの仕事はスタッフ間のチームワークです。
嫌でもコミュニケーションを取らねばならないし、その態度や行動は他のスタッフに影響します。
昔、この人と腹を割って話をしようと何度もじっくりコミュニケーションを試みたが、どんな話をしていても話の方向性や話題を摩り替えられ一向に話したい核心に辿り着く事が無かった。
つまりは相手の言う事を少しも聞かず、自身を守る事しか考えていないので自分に有利な話以外はする気が無いのである。
私はこんな事を何度か繰り返すうちにすべて無駄だと悟った。
会社が諦めるのも納得。何度、どんな事を言い聞かせようと本人が本心で改善しなければならないと思うことが無かったという事。
もはや手の施しようが無い。
そしてあろうことか、私自身よりもひと世代年上。
大人として恥ずかしくないのか?と思ってしまう程です。
まずは相手でなく自分が変わる
このウザ井の事に関しては、私は相当悩みました。
それは現在進行形の事でもありますが、最低限理解しようと何度も試みている。
人間歳を重ねれば重ねるほどに思考が凝り固まっていくものです。
最近の若者は~~~
こんなセリフは何時の時代も言われるセリフですが、これは上記の言葉を端的に現している。
若者の文化や考えが理解出来ないのは仕方がないかもしれない。
時代が違うのだから当然でしょう。
歳を重ねると新たな価値観を受け入れ難くなる。
それを受け入れる事によって、場合によっては自分の今まで積み重ねてきた努力や経験を否定する事に繋がる場合だってあります。
自身のアイデンティティを守る自己防衛本能とでも言いましょうか。
そうなのだから人を変えるなんて事は難しい。
それ以前に自分自身を変える事さえ簡単な事ではありません。
しかし、現状うまくいく方法が無いのならば自分自身がどうにか折り合いをつけるなり、変わるなりの努力をする外無い。
どうにかうまく消化する方法は無いかと考え抜いた結果私は、
こういう人間なのだから気にしても仕方が無い。
この人は自分を成長させてくれる人だ。
そう考えて流すようになりました。
正直、これ以上合わない人間が居ないくらいに思っているので、100%とはいきませんが無理の無い範囲でくらいにはなっています。
もちろん簡単に出来たような事ではありません。慣れというものもあったし、時間はそれなりにかかりました。
しかし、人を変えようと試みたところで自分さえ自由自在に出来ないのです。
人を変えるというのは非常に難しい事ですし、出来ると考えるのも少々おこがましい気もします。
切り替えも大切
仕事をしていると「こいつ分かってねえなあ」とゲンナリするパターンが時折あるんだけど、そういう時に試行錯誤してそいつを説得させるということはやらないようにしてる。人を変えることはほぼ不可能なんで他のことに気を回したほうが生産的でしょう。「無視する」ということを覚えると仕事は上手いく
— パチンコ店長クロロ (@Curoro_tenchou) 2018年8月31日
こちらは先日の有名ブロガーのクロロさんのツイート。
まさにやるべき事はこれ。
変わる意思の無い人間に何を言っても変わらないし、だったら他に労力を割いたほうが賢明であると言える。
もし周りの人間関係に悩んでいるのなら諦めて割り切る事も肝心。
無理に相手を変えようとしても相手にその意思が無ければ変える事など出来ない。
自分自身の中での処理の方法や方向性に関して模索するべき。
他に労力を割く切り替えが重要。
当たり前と言えば当たり前ですねw
しかし特に何か思い悩んだ時というのは嫌でも囚われ視野が狭くなるものです。
悩んでいなければ簡単に糸口を見つけられるようなものでもその時は見えなかったりします。
一歩引いて視野を広くしていきたいものですね。
そして自身でも歳とともに凝り固まっていっている部分というのは少なからず感じます。
手の平返しではありませんが、今日の考えと明日の考えがガラリと変わる程の柔軟性を持てるよう、謙虚に大きな器を持てるようになりたいものです。